明治の説得王・末松謙澄 | 集英社インターナショナル 公式サイト

明治の説得王・末松謙澄

言葉で日露戦争を勝利に導いた男

山口謠司

¥880(本体)+税   
発売日:2021年06月07日

明治の国難を救った知られざる偉人!
言葉で日本を創り、日本を守った男がいる。末松謙澄(すえまつ けんちょう)、福岡県行橋市に、日本がアメリカと不平等条約を結んだ翌年(1855年)に生まれた。
明治になってもまだ江戸の匂いの濃かった時代、日本という国の名前はあっても、ひとつの国としての形はまだ何も定まっていなかった。国としての「歴史」も、「議会」も、「憲法」も、「新聞」も、それらを書き記すための皆が分かる標準語としての「日本語」すらなかった。
日本をどんな国にするのか――政治家として、また多才な文化人として、西郷隆盛への降伏勧告状、大日本帝国憲法、下関条約の締結文の草案を書き、明治維新史『防長回天史』を編纂。日露戦争では日英同盟の強化などにより日本の窮地を救い、近代日本の礎を作った。
謙澄の作った道を今の私たちは歩いている。彼は何を目指し、何をしたのか――世界を舞台に活躍し日本の国際化と近代化に果たした謙澄の足跡を辿る。

林望さん推薦!
「快男児、明治の曙に独り日本を背負って立つ」

【末松謙澄(安政2〈1855〉~大正9〈1920〉)主な業績】
●西南戦争において、西郷隆盛への「降伏勧告状」の草稿作成
●「大日本帝国憲法」の起草
●『源氏物語』を初めて英訳出版し世界へ紹介
●ウィリアム・アンダーソンによる日本美術史の先駆的研究書“The Pictorial Arts of Japan” の編纂に寄与。後に日本語に翻訳出版して日本美術史の発展に大きく貢献
●「演劇改良会」を主唱発足し演劇の近代化を推進
●日露戦争では渡英して黄禍論を抑え、ロビイストとして日本の勝利に大きく貢献
●晩年には、司馬遼太郎も数々の歴史小説執筆にあたって参考にし、いまなお明治維新史研究の第一級の基本史料とされる『防長回天史』(全12巻)を出版

【末松謙澄をめぐる主な人物】
義父:伊藤博文/生涯の友:高橋是清/ケンブリッジ大学の学友:オースティン・チェンバレン/西南戦争の際の上官:山縣有朋/「日朝修好条規」締結の際の上官:井上馨/「東京日日新聞」時代の先輩:福地桜痴など】


商品情報

書名(カナ)メイジノセットクオウスエマツケンチョウ コトバデニチロセンソウヲショウリニミチビイタオトコ
判型新書
ページ数256ページ
ジャンル歴史・地理
ISBN978-4-7976-8076-8
Cコード0295

著者略歴

山口謠司(やまぐち・ようじ) 

大東文化大学文学部教授。1963年、長崎県生まれ。中国山東大学客員教授。博士(中国学)。大東文化大学卒業後、同大学院、フランス国立高等研究院人文科学研究所大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。『炎上案件 明治/大正 ドロドロ文豪史』(集英社インターナショナル)など著作多数。『日本語を作った男 上田万年とその時代』(集英社インターナショナル)で第29回和辻哲郎文化賞受賞。

目次

第一章 筆によって立つ
第二章 外から見た日本 
第三章 「改良」運動と日清戦争
第四章 真の日本とは何か
第五章 『防長回天史』編纂

担当編集者より

道を歩く人は、その道を作った人の名前を知りません。作った人がいるなどと考えもしないかもしれません。
末松謙澄が生まれたのは、ペリーの2度目の来航により日本がアメリカと不平等条約を結んだ翌年1858年のことです。ここから日本は広く世界との交流をはじめ、政治も経済も文化も外交も、社会全体が大きく変化していきました。そんな激動の時代を生きた人です。
日本をどんな国にするのか――謙澄は声高に先頭に立って人々を導いた人ではありません。草を刈り、地ならしをした人です。末松謙澄という人の名を知る人は少ないでしょう。道を歩く人は、その道を作った人の名前を知らないからです。しかし、謙澄の作った道を今、私たちは歩いています。謙澄が踏み出した一歩がもしも別の方向だったとしたら、今の日本はまったく別の姿をしていたかもしれません。