米窪明美氏スピーチ全文

11月2日、都城で開かれた出版記念会での、著者・米窪明美さんのスピーチを特別に許可をいただいて再録します。

「御挨拶」

本日はご多用のなか、大勢の方々にお集まり頂き光栄に存じます。このような形で拙著「島津家の戦争」をお祝いくださるとは全く予想しておらず、皆様の温かいお気持ちに感激致しております。発起人代表の長峯基先生を初め本日の会にご尽力くださいました皆様、ご来場の皆様に心より御礼申し上げます。

私が都城島津家を舞台に本を書こうと思い立ったのは、四年半ほど前の事になります。

その頃私は前作「明治天皇の一日」を書き上げたばかりで、次は別の視点から近代史を書いてみたいと考えておりました。そんな時ふと思い出したのが、こちらにおいでになる島津久厚先生のお宅の事務所の日記、『都城島津家日誌』でした。

今から十五年前、私は母校・学習院の総務部秘書課でアルバイトをしており、その折り院長でいらしたのが島津先生でした。そのような御縁で私は『都城島津家日誌』の存在を以前より存じておりました。この日誌を基礎史料として島津男爵家の近代史を描いてみたらどうだろう、「島津家の戦争」はここから始まりました。

都城島津家を描くにあたり、背景となる都城の歴史も知らなければならない。

そう考えて調べてみると、この地域の武士の比率が日本の中でも桁外れに高い、ということが分かりました。明治初年の調査によれば、全国平均で士族の比率は約5パーセントでしたが、それに対して鹿児島県では約25パーセント、そしてここ都城はなんと42、3パーセントというのですから驚いてしまいます。住民のほぼ半数が武士――この事実を知ったとき、頭の中にパッと「武士の王国」という言葉が浮かびました。都城は日本の中でも極めて特殊な地域であったのです。

史料を眺めてゆくと、都城島津家と家臣団は主従というよりも家族のような関係で、両者は一体化した存在、まるで一つの生命体のように見えました。都城島津家を描くということは、都城の武士を描くことに他ならない。いつしか私は、都城の武士たちや彼らを育んだ都城盆地そのものにも、深い関心を抱くようになってゆきました。

私は本の中で、自分の土地は自分で守る、という言葉を意識的に繰り返して使いました。「何者にも頼ることのない自立心」、「何事も自分の力で成し遂げようとする気概」こそ、都城武士の最も誇るべき点だと考えていたからです。

そしてまた現在の日本に最も求められている人材は、彼らのような人々ではないか、とも考えています。私がこのように考えるようになったのには、一つきっかけがあります。

丁度この本を書いている最中、私はNHKのTVドラマ『坂の上の雲』の宮廷シーンの時代考証を致しました。必要に迫られた私は、ドラマの原作となった『坂の上の雲』を改めて読み返してみました。

ご存じの通り、『坂の上の雲』は作家・司馬遼太郎氏の代表作で、松山出身の三人の青年たち、軍人として活躍した秋山好古・真之兄弟と俳人・正岡子規とが互いに切磋琢磨しながら成長してゆく姿を描いた青春群像劇です。

司馬氏は作品の中で、国家と自己とを重ね合わせ、坂の上にたなびく一筋の雲を目指してしゃにむに登ってゆく明治期の青年たちの姿を肯定的に描いています。国家を背負う覚悟を抱いて、故郷を離れ上京した青年たち。彼らの手により日本の近代化が成し遂げられてゆく過程は、読んでいてすこぶる感動的です。

しかし、都城島津家を舞台とした本を同時進行で書いていた私は、やや違和感を覚えました。東京で出世の階段を駆け上がってゆく青年たち、それはそれで立派です。しかし東京で出世した青年たちがいくら頑張っても、彼らだけでは近代国家は生まれません。考えても見てください。首都だけが近代化され、一歩外に出れば百年前と同じ光景がひろがっている、そんな国を近代国家と言うでしょうか?言わないはずです。社会全体が近代化されて初めて近代国家と言えるのではないでしょうか。

日本を近代化へと導く原動力となったのは、故郷に留まり地域の近代化に努めた無数の青年たちであった、と私は考えています。

振り返って都城の武士たちの事を思い出してください。彼らはいち早く志士運動に参加していたので、西郷隆盛や大久保利通らのグループは勿論のこと、他藩出身の志士たちとも親しい関係にあり、東京に行きさえすれば立身出世は思いのままという状況にありました。そんな恵まれた環境にあるにもかかわらず、多くの都城士族はこの土地に留まり、故郷の発展に邁進しました。

彼らは出世を諦め、故郷の骨を埋めたのではありません。そうではなくて、彼らは東京にも、京都にも、大阪にも、東北にも行き、その結果この世に都城ほど素晴らしい場所は他にない、と考えて故郷に留まったのです。

彼らのように故郷を愛し、その発展に生涯を捧げた青年たちが日本各地いた。これこそ日本の近代化を支えた原動力であったのではないでしょうか。

現在日本の国力は各方面で揺らいでいます。その原因は様々考えられるでしょうが、地域から中央への人材の流出が止まらないことも、一因であると思います。限られた地域だけが栄えても国力は上向きにはなりません。

都城の士族たちは藩にも幕府にも国家にも頼ることはありませんでした。自分たちの土地は自分たちで守る、いつの時代も彼らの流儀は一貫していました。彼らは真の意味で自立した人々であったのです。
現在の日本に最も必要なのは、彼らのような人材ではないでしょうか。行き先の不透明な現在の日本。私たちは今こそ、すっくりと大地に立ち、自分の土地は自分で守るとの気概を一貫して持ち続けた、都城の人々の生きざまから学ぶべき事柄がある、と私は考えております。

史料を通して、誇り高く生きた都城の人々と時空を超えて知り合えたことは、書き手として幸運でした。そして今宵、その後継者にあたる皆様とこの場所でお目にかかれましたことは、一人の人間として光栄に存じます。この本を書いて良かったと、しみじみいま実感しております。本日は誠にありがとうございました。

(都城メインホテル・ナカムラにて)