『リオとタケル』 みなさんの声

『リオとタケル』を読んでくださった皆さんの感想コメントを紹介させていただいていますが、先日、京都大学ブックセンターさんからも嬉しい感想をいただきました。

すでに著者の中村安希さんのブログ(安希のレポート)でも紹介されていますが、掲載許可をいただきましたのでこちらでも全文掲載させていただきます。

安希さんの周辺では今、『リオとタケル』の感想はもちろん、“セクシュアリティ”に関する質問やカミングアウトが頻発しているそうです。

 
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何気なく読み始めた『リオとタケル』。
読み終えてふと気付くと表紙をじっと見つめていた。
物語の世界に心を奪われ、一息で読み終え虚脱感に包まれていた。
「リオとタケル」ふたりの世界から離れる寂しさを感じながら、ぼんやりと思っていた。
「ああ、これは小説じゃなかった。ノンフィクションだったな。」

「リオとタケル」の世界を共有した時間。
その間、僅かに働いていた理性が物語の舞台の場面転換を意識しつつも、
頭の片隅でひとつの断章が同時進行していた。

従弟のK君は可愛らしかった。小学生の僕でも心動かされるほどに。
たしか僕より五つ年下で、シルヴェスタスタローンにそっくりでそのままぽっちゃり小さくした感じ。絵に描いた様などんぐり眼をしていた。
だから、夏休み、母の実家に帰省するのが楽しみだった。
「Tにいちゃん、Tにいちゃん」とK君は僕のあとをついてまわった。
よく泣いて、すぐにころころ笑って、いま思い返せばいちばん幼いK君がいつも僕たちの真ん中にいた。
僕たち兄弟とK君兄弟、男の子四人で、思いっきり夏の暑さの中を遊びまわった。
ぼくたち兄弟が帰る日には、いつも駅のホームで「ぼくも帰る(?)」と泣きじゃくっていた。
そしてご両親に列車から抱きかかえ降ろされていた。

あの日々、K君はぼくたちを幸せにしてくれた。
K君はまさに幸福の遺伝子をもっていた。

そして、次第にお互い疎遠になった。そのまま夏の日々の記憶はずっと埋もれていた。

ある年の冬、K君が「僕はホモだ。」と家族に告白してそのまま家を出て行ったと伝え聞いた。
その時K君は二十歳ぐらいだっただろう。
久しぶりに意識に現れたK君の面影はもちろんちっちゃいままで。
その時突然ひとつの世界が浮かんだ。脈絡なく意識が飛んだ。

いまこの瞬間、同性愛の世界だったら?
女に感じる、女を抱きたい。
男を抱かなければならない?男を愛さなきゃならない?
ずっと、生きている限り?死ぬまで?
その瞬間襲われた果てない虚脱感と絶望感が甦る。その日の寒さとともに。

あの夏の日差しの中笑っている幼いK君と、今どこかで寒さに震えている二十歳のK君。
像はどうしても結びつかなかった。
そして僕はそのままずっとK君を忘れていた。
K君がその後どうしてるのか、今どこで何をしているのか知らないままに。

ちょうどこの文章を書いている時、五輪競泳金メダリストのイアンソープがゲイであることをカミングアウトしたというニュースがあった。
華々しい表舞台に身を置きながら、その裏でうつ病になり、自殺を考える程苦しんでいた、と。
「偽りの人生を送ってきた。他人の基準で『正しいスポーツ選手』とされる人物になろうとしていた」
ああ、そう言うことなのかもしれないなと思った。

「リオとタケル」の人生の物語。
「リオとタケル」、ふたりの生き方そのものが、人生を通してふたりが一緒に作り上げた最高傑作で、それは華々しいマジョリティーの世界では生まれなかったものだろう。

優れた芸術作品がそうである様に、「リオとタケル」は人々の価値観を変革する力を持つ。
宗教的観念によってもたらされる差別、否定に対して、
神の絶対性は、多様性を持ち、違いを認め創りあげられたこの世界の在り方そのものにあることを教えてくれる。
学術的な議論をどれだけ積み重ねても決して啓くことのできない理解、価値観を示し
いままで目にすることがなかった新しい世界を見せてくれる。

ふたりの愛は、静かで穏やかだけど、確かな力強さに満ちている。

読み終え本を閉じ、ふと表紙を見ると、
そこには、リオとタケルがいた。
スッポトライトを浴び、皆に祝福を受けて、誇らしくもどこが恥ずかしげな、幸せそうなふたりがいた。

あらゆるマイノリティーの困難のなかに生きる人にリオとタケルを知ってもらいたい。
「リオとタケル」は生きる勇気と力を与えてくれる。
違いを受け容れることができない人にも読んでほしい。
ここには、ただ素敵なふたりがいるから。

そして、K君に届けたい。どこかで、「リオとタケル」この人生の物語を手にとってくれることを願う。
(京大ブックセンター・山下)

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感想を寄せてくださった皆さまに、心より御礼申し上げます。

広報K