2012年5月18日

<第5回>『滅び行く民族(The Vanishing American)』

今回のお題:『滅び行く民族』は滅びない

ポスター

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先住民の描き方

アワワワワワと雄叫(おたけ)びをあげて、フンドシ一丁で馬にまたがり、弓矢や槍(やり)で襲ってくる野蛮人。それが昔のハリウッド映画に登場するインディアン、もとい、アメリカ先住民のイメージだった。

先住民は白人によって土地を奪われ、生活を破壊された被害者であるという真実が映画で描かれるようになったのは1960年代、黒人たちが平等を求めた公民権運動の影響である。特に1970年代前半のニューシネマでは、カスター将軍のワシタ川の大虐殺を描く『小さな巨人』(1970年)や、サンドクリークの大虐殺を描く『ソルジャー・ブルー』(70年)などが、白人たちが隠してきた先住民への犯罪行為を暴(あば)くようになった。

以上がきわめて教科書的な「ハリウッド映画によるインディアンの描き方」の概要だ。でも、例外がないわけではない。

サイレント時代、D・W・グリフィスはそのものズバリ『インディアンの視点 The Red Man’s View』(1909年)という短編を作っている。平和に暮らしていた先住民の部族が、入植してきた白人たちから武力で立ち退(の)きを命じられる。肥沃な土地から水もない荒野へと強制移住させられる過酷な旅路で、老人や子供は力尽きて死んでいく。

これは、1838年、セミノール族がフロリダから、チェロキー族がテネシーから、遥(はる)か遠いオクラホマの荒野へと強制移住させられた実話を基にしている。西部開拓期の終わりから30年ほどしか経過していない時代に『インディアンの視点』は、フロンティア・スピリット(開拓精神)の欺瞞(ぎまん)を辛辣(しんらつ)に突いている。

グリフィスは1912年には『大虐殺 The Massacre』で、ワシタ川の虐殺を描いている。1868年、シャイアン族のキャンプをカスター将軍率いる騎兵隊が襲撃し、ほとんど無抵抗の人々を殺した。大地に横たわる乳飲み子とその母親の遺体を捉えたショットは強烈だ。

グリフィスは、この2本の他にも大作『イントレランス』(1916年)で歴史上の民族や宗教への弾圧を厳しく批判した人道主義者でありながら、同時に、『国民の創生』(1915年)で黒人から投票権を奪うKKK(クー・クラックス・クラン)を正義の味方として描いた差別主義者でもあり、アメリカ人そのもののように分裂していて面白い。

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2012年4月23日

<第4回>『摩天楼(The Fountainhead)』

今回のお題:『摩天楼』とティー・パーティ

摩天楼

映画版『黒猫』の意味

エドガー・G・ウルマー監督のホラー映画『黒猫』(1934年)はエドガー・アラン・ポー原作とクレジットされているが、ポーの短編『黒猫』とは、ほとんど何も関係がない。ヨーロッパに新婚旅行に来た夫婦がボリス・カーロフ扮するポールジッグという男の館に囚われる、という話だ。

『黒猫』が映画史に残っているのは、その美術デザインだ。ホラー映画に登場する屋敷は、おどろおどろしいゴシック建築と決まっているが、このポールジッグの屋敷はモダニズム仕様なのだ。装飾を排し、直線と曲線のシェイプを活かしたシンプルなデザイン。フロアを壁で仕切って小さな部屋に分割するのではなく、ひとつの広いスペースのまま残している。それはこの映画公開後、四半世紀経(た)ってから一般化したセンスだ。

ポールジッグという役名は、実在の建築家ハンス・ポエルツィックから取られている。『黒猫』の脚本を書いたエドガー・G・ウルマーは、オーストリア出身で、ベルリンの映画界で働いていた。主にフリッツ・ラング監督の下についたが、ポール・ウェゲナー監督・主演の『巨人ゴーレム』(1920年)にもついた。その『巨人ゴーレム』のセット・デザインをしたのが、ポエルツィックだった。建築家としてのポエルツィックは、装飾を排した機能的な、モダンな建築デザインで知られている。

モダニズムは1920年代ヨーロッパで起こっていたデザイン革命だが、それを主導したデザイン学校バウハウスはヒットラーによって閉鎖された。バウハウスの校長ミース・ファン・デル・ローエはアメリカに渡り、ニューヨークのシーグラム・ビル(1958年)に代表される、四方をガラスで囲まれた四角い高層ビルを設計した。それは全世界のオフィスビルのスタンダードになり、インターナショナル・スタイルと呼ばれた。

だが、この『黒猫』の時代には、モダン建築は異端だった。恐怖の対象だった。人間くささを感じさせないシンプルなデザインは、悪役ポールジッグの冷酷さの象徴として使われている。

モダニズム建築家

メロドラマの巨匠キング・ヴィダー監督の『摩天楼』(1949年)でもモダニズム建築家は異端として描かれている。ゲイリー・クーパー演じるハワード・ロークは、ミース・ファン・デル・ローエと並ぶモダニズム建築家、フランク・ロイド・ライトをモデルにしている。原題The Fountainhead(水源)とは、次々と新しいアイデアが湧き出すロークを指している。

映画は1920~30年代、若きハワード・ロークが建築学校や建築事務所で「デザインが斬新(ざんしん)すぎる」と否定されるモンタージュで始まる。当時はローマ風の新古典主義や、エンパイア・ステート・ビルのようなアール・デコが主流であり、ロークのように装飾を排したデザインは異端だった。

年を経たロークは、ある銀行の本社ビルの設計を依頼されるが、モダンな完成予想図を見たクライアントは「素晴らしいが、極端すぎる」と、新古典主義の装飾を加えるよう要求する。ロークは「私は絶対に妥協しない」と仕事を降り、建築家としての仕事は来なくなる。

ロークは採石場で肉体労働をする。たくましい肉体に玉の汗を浮かべて働く彼をじっと見つめている女がいる。ドミニク(パトリシア・ニール)は近所に住む大金持ちの娘。プライドの高いドミニクは今までどんな男にも夢中になったことがなかったが、ロークに一目惚れしてしまう。岩にドリルでぐりぐり穴を掘るクーパーに彼女が欲情する描写はわかりやすすぎて、まあエッチ。

ドミニクはわざと暖炉の大理石に傷をつけて、その修理と称してロークを部屋に引きずり込もうとする。しかし、金持ち女に支配されるのを嫌うロークは採石場を辞めてしまう。ドミニクは自分を袖(そで)にしたロークを馬で追いかけ、彼の頬(ほほ)に乗馬鞭(むち)を食わせる。その夜、ドミニクの寝室の窓からロークが夜這(よば)いをかけ、彼女を荒々しく征服し、満足させてまた窓から去っていく。

何ですか、これ? レディコミ?

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2012年3月22日

<第3回>『群衆(Meet John Doe)』

今回のお題:『群衆』とティー・パーティ

群衆

群衆


「ジョン・ドー」って誰だ?

真珠湾攻撃直前の1941年、アメリカでは1929年の大恐慌から始まった不景気が続いていた。「ブルティン」という新聞社も経営難で、大資本家D.B.ノートンに買収され、「ニュー・ブルティン」と紙名を変える。

経営変更に伴い、社内では大規模なリストラが行われ、女性編集者アン・ミッチェル(バーバラ・スタンウィック)はコーネル編集長から「デカい花火がなかったから(スクープを取らなかったから)」という理由でクビを告げられる。

「わかったわ、最後に花火をくれてやる」

アンは退社前に読者欄の原稿を入稿する。

「俺は失業してもう長い。政府に抗議するため、クリスマスイブの真夜中に市庁舎の塔から飛び降り自殺してやる ジョン・ドー」

ジョン・ドーとは「名なしの権兵衛」という意味。

翌朝、新聞を読んだ読者から市長に抗議の電話が、新聞社にはジョン・ドーへの寄付と「彼と結婚したい」という女性からの申し出が殺到した。編集長はアンを呼び出した。ジョン・ドーって誰だ?

「そんな人いません。あの投稿は私のでっち上げです」

逆にアンは編集長を脅迫する。捏造(ねつぞう)原稿を掲載したことをバラされたくなければ再雇用しろと。
ところが新聞社には「俺がジョン・ドーだ」と言い張る浮浪者たちが集まっていた。

「彼らのなかから誰か雇ってジョン・ドーを演じてもらいましょう!」

かくしてジョン・ドーのオーディションが始まる。次々と出てくるのは、根本敬的な意味で「イイ顔」の酔っ払いのオヤジばかりだが、ひとりだけ、ハンサムなホーボー(流れ者の労働者)ジョン(ゲイリー・クーパー)が混じっていた。アンはジョンにひと目惚れし、彼を庶民の英雄ジョン・ドーへと作り上げていく。

ジョン・ドーはラジオで演説をする。演説の原稿は、アンが、死んだ父親の遺した日記を基にして書いた。

「みなさん、私はごく普通の男です」

ジョンは、弱き庶民の団結を訴えた。

「全国のジョン・ドーよ、目覚めよ!」

そのスピーチは不況にあえぐ国民を熱狂させ、「ジョン・ドー・クラブ」という草の根市民団体が全米各地に発生し、ジョン・ドーは国民的なカリスマへと祭り上げられていく。

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2012年2月20日

<第2回>『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(There will be blood)』と『エルマー・ガントリー(Elmer Gantry)』

今回のお題:二人のシンクレアと石油と宗教

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』と『エルマー・ガントリー』

現代アメリカを支配するもの

石油と宗教。

この二つが20世紀以降のアメリカを支配してきた。

1870年、ジョン・D・ロックフェラーがオハイオでスタンダード・オイルを立ち上げた時は、石油よりも石炭が主流の時代だった。

しかし1903年にフォードが流れ作業によって自動車の大量生産と低価格化を実現すると、たちまち内燃機関は世界を制覇(せいは)し、先進国で数少ない石油産出国であるアメリカも世界の覇権を握った。

石油からは、電力や石油化学製品、化学肥料なども作られ、現代社会の衣食住のすべてが石油に依存している。現在、世界最大の企業上位20位のうち、9社が石油会社である。

1920~30年に石油産業が巨大化するいっぽうで、近代工業化社会に取り残されたアメリカ人たちは聖書に救いを求め、盲目的な信仰へと回帰していった。彼らは「福音派」と自称し、現在はアメリカの人口の25%以上を占める。共和党の支持基盤として政治をコントロールする巨大な勢力である。

石油と宗教の大ブーム最中の1927年、作家アプトン・シンクレアは石油採掘業者を主人公にした小説『石油!』を発表した。同じく1927年、シンクレア・ルイスは福音派キリスト教の伝道師を主人公にした小説『エルマー・ガントリー』を発表した。

二人のシンクレアが同時に描いた石油と宗教の物語は、ハリウッドで映画化された。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)と『エルマー・ガントリー 魅せられた男』(1960年)である。

パニックを引き起こした大ベストセラー

1904年、アプトン・シンクレアはシカゴの食肉パッケージ工場で働いた。金のためではない。体験取材だった。1906年、彼は小説『ジャングル』を発表した。シカゴの食肉加工業で移民労働者が資本家に搾取される物語で、最後には労働者の団結と社会党への投票を訴える左翼プロパガンダ小説だ。ところがこれが、当時のセオドア・ルーズベルト大統領まで読む大ベストセラーになった。

『ジャングル』が売れたのはイデオロギーのせいではなく、ヨーロッパから送られた古い肉や、ネズミの糞、死体、ネコイラズまでが一緒にミンチにされてソーセージに詰められて売られているという恐るべき実態が暴かれていたからだ。『ジャングル』はアメリカにパニックを起こし、政府が食品衛生を監視する食品医薬品局を設立するほどの大事件に発展した。

その後、シンクレアはカリフォルニアに移り、社会党から下院議員や州知事選に出馬した。実際には一度も当選しなかったが、ハリイ・タートルダヴが2001年に書いた歴史改変SF『アメリカン・エンパイア』ではシンクレアが大統領に当選してアメリカが社会主義国になる「もしも」が描かれている。

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2012年1月20日

<第1回>『市民ルース(Citizen Ruth)』

今回のお題:えっ? 人工中絶をコメディに?

「市民ルース(Citizen Ruth)」










アルコール中毒でシンナー中毒でホームレスで

ネブラスカのオマハ市に住む30代の女性、ルース(ローラ・ダーン)は、アルコール中毒でシンナー中毒のホームレスだった。かつては結婚しており、子どもも二人いたが、中毒が原因で離婚された。今は行きずりの男に身を任せてその日の宿をなんとか確保していた。

ルースは自分の境遇から逃避するため、金物屋で買ったペンキのスプレーを紙袋の中に噴霧して、それを吸い込んで朦朧(もうろう)とする。口の周りにペンキをつけたまま路上に座り込んでいるルースを巡回中の警官が保護する。
「またお前か。何度捕まれば気が済むんだ」

警察で身体検査中にルースの妊娠が発見される。検事は「このクズ女にはもう我慢ならん!」と、胎児をシンナーによって傷つけた罪でルースを起訴するという。弁護士は「今のうちに中絶しろ。そうすれば罪が軽くなる」と提案、ルースも納得する。どうせ自分には子どもを育てる能力はない。

人工中絶コメディ

その刑務所に、キリスト教信者たちが布教活動に来る。信者のリーダー、ストーニー(『ロボコップ』で悪役を演じたカートウッド・スミス)はルースの妊娠を知って、保釈金を払って彼女の身元を引き受けた。プロ・ライフ(生命尊重)つまり、人工中絶反対のキャンペーンに利用するためだ。

対するプロ・チョイス(産むか産まないかを女性が選ぶ権利を尊重する)団体も、ルースをキリスト教徒から奪って中絶させようとする。双方のリーダーが叫ぶ。

「これは戦争だ!」

映画『市民ルースCitizen Ruth』(1996年・日本未公開)はアレクサンダー・ペイン監督の長編デビュー作。ペインは『ハイスクール白書』『アバウト・シュミット』それにアカデミー脚本賞を受賞した『サイドウェイズ』、最新作『ディセンダンツ』と、一貫して「中年の危機」を意地悪で皮肉なコメディとして描く作家として知られているが、この『市民ルース』の意地の悪さはケタ違いだ。なにしろ、世界の映画史上稀に見る「人工中絶コメディ」なのだから。

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2012年1月13日

はじめに

町山智浩の書き下ろしシネ・ガイド、
月イチWEB連載スタート!
(毎月20日頃更新予定)


いま、その言動がいちばん注目されている映画評論家・町山智浩(まちやま ともひろ)さんが、映画を観ただけではわからないアメリカという国の真実について、毎回意外な話を書いてくれます。

「町山智浩以外には誰も書けない映画論」(©内田樹先生)が、ここに新たに展開されること請け合い。

アメリカに在住しながら、日頃、日本人にはうかがい知れないアメリカの懐深くに飛び込んでいる町山さんが、さて、この映画から何を読み取るか? 何を読み取ればいいのか?
その秘密を解き明かしてくれます。

いまも全世界を動かすアメリカという国の不可思議さ、ビョーキぶり、底辺、宗教観、政治の駆け引きなどなど「アメリカの根っ子」を知り、そして世界を知ろう!

<第1回>

『市民ルース(Citizen Ruth)』


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