夕陽に赤い町中華

北尾トロ



1

はじめに
新ジャンル「町中華」の誕生!?

出会いは一期一会

散歩の途中で目に入った、真っ赤な字で力強く書かれた「中華料理」の看板。思わず立ち止まり、二、三歩下がって店の外観を眺める。

一階が店舗、二階が住居の典型的な持ち物件タイプだ。二階のベランダにはふとんが干してある。全体にくたびれ感があるところから見て創業40~50年は経っているだろう。といって貫禄のある建物ではなく、ただ古い。

のれんは端っこが少しほつれている。ドアの周辺には「本日のランチ」「定食あります!」の手書きメニュー。こちらは黄色い紙に黒と赤のマジックだ。値段は定食で800円前後と標準的。半チャンラーメン(ラーメン+半チャーハン)や餃子定食、麻婆豆腐定食、レバニラ炒め定食、回鍋肉定食といった定番が揃っているところから、奇をてらわぬ経営方針が窺える。入口の前に無造作に並ぶ大小の鉢植えは水を与えられたばかりなのか、キラキラと西日を反射している。これは良さそうだ。空腹かと問われればそうでもないと答えるしかないが、町中華との出会いは一期一会。今日を逃せばいつまたここを通るかわからず、仮に半年後だとすると、そのときには閉店しているかもしれない。

典型的な持ち物件タイプ。2階に目をやるのも習慣に。

町中華探検隊、結成!

雑誌や新聞、テレビなどで町中華が取り上げられることが増えてきた。町中華はどこの町にでも一軒や二軒はある大衆的な中華の店だが、誰も呼び名にこだわらなかったため、長い間、ラーメン屋とか中華屋、定食屋など適当な言い方をされてきた。あえてジャンル分けすることもないくらいにありふれた存在だったと言ってもいいだろう。

2014年の初頭、友人のライター・下関マグロと高円寺を歩いていた僕が、学生時代から知っている『中華大陸』が閉店していることを知り、「ああいう町中華はどんどんなくなるね」と呟いたのも、いつかどこかで聞いた呼び方が口をついただけのことだった。ところが、それを聞いたマグロが激しく反応。それは「町中華」なのか「街中華」なのかとニジリ寄ってくる。それで、「街」だと立派な感じになってしまうから「町」だろうと答えた。

そこで終わっても不思議はなかったのだが、中華屋の前に立って"マチチュウカ"と声に出してみると妙にしっくり来る。しかも、前述のように僕は町の中華屋が少しずつ減っている感じがしていて、それはマグロも同じ。だったらいま、町中華がどんな具合になっているか食べ歩きながら調べてみようと話がまとまった。そのとき面白半分につけたのが、町中華探検隊というチーム名だったのだ。活動といっても中華屋を食べ歩くだけの、遊びみたいなものなのだが、人に話すと面白がられて次第にメンバーが増加。雑誌に連載ページを持ったり、探検隊の50代トリオで『町中華とはなんだ』という本を書いたりした。でも、まだまだやり遂げた感じがせずに、いまでも月に何度か集まっては探検を続行中だ。

町中華は消え行く食文化かもしれない。だから、いまのうちに食べ歩いて記録していこう。単純な動機で始めたことだけれど、やってみたら異様に奥が深いのである。昭和の腹ペコ野郎の胃袋をがっしり支えてきた食文化は、掘れば掘るほど新たな興味や疑問が湧いてくる宝箱みたいなものなのだ。

こうした町中華探検隊の地道な活動が認められ、町中華という名称が急速に普及していった…わけではない。僕たちはたまたま、ちょうどいい呼び方を見つけてしまったのだ。

40代以上の男なら、たいていは若い頃、町中華の世話になっている。若い世代にはなじみが薄いかもしれないが、存在は知っていたしたまには入ることもあるだろう。だが、前述したように呼び方はバラバラで、どう呼ぶべきかと考えたこともなかった。なぜなら、多くの人は家や学校、会社の近所に数軒の店を知っていれば用が足りるからである。短時間で食べられて千円以内で満腹になる便利な店であればいいのだ。何年も通っている店なのに屋号を知らず、"角の店"と勝手に名付けているなんてことも珍しくない。

そんな現状の中、町中華という呼び方があるのを知った人たちが、あれはそういうジャンルなのか、町にある中華屋をそう呼ぶのかと思い、使い始めたのだと僕は思う。町中華探検隊に功績があるとすれば、それは名称を広めたことではなく、無意識に食べていた料理や店を、ひとつのジャンルとして認識できるようにしたことではないだろうか。

ただ、心配なこともある。町中華が注目されるのはいいのだけれど、一時のブームとして消費されてしまいそうで気が気じゃないのだ。味が懐かしい、個性的な料理がたらふく食べられる、雰囲気が昭和レトロで新鮮。そんな楽しみ方をしている間にも、町中華は衰退への道を進んでいく運命にある。もともとの数が多いため気づかれにくいだけで、店を閉めるところが多いのだ。主な理由は店主の超高齢化と後継者の不在。継ぐ人がいないというより店主が継がせたがらないケースが多い。

僕は町中華が存続の危機を迎えるのは2020年の東京オリンピック以降だと考え、それまでの期間、探検をやっていこう、オリンピックで区切りをつけ、町中華について調べたことをまとめようと思っていた。でも、つい最近行った店が、つぎに訪れると予告もなく閉店している経験を何度かするうちに、それじゃ遅いと考え直すようになった。今だ。現役バリバリで営業している今の時点で語らないと、ノスタルジーに浸るようなものになりかねない。

町中華のシンボルカラーは、のれんや看板に多用される赤。いま、それは夕陽に染まってますます赤味を増し、最後の輝きを放っている。

赤がシンボルカラー!
外観のどこかにあしらわれることが多い。

美味しすぎたら困る理由

さて、さきほどの店の続きだ。のれん、手書きメニュー、鉢植えの次には食品サンプルの入ったガラスケースを見る。ラーメンやチャーハン、チャーシュー麺に混じってかつ丼があった。また加点だ。しかもこのケース、何気ないようでいてマメに掃除されているのか、食品サンプルにホコリが積もっていないではないか。もうひとつ見逃せないのは出前機を載せたバイクがあることだ。もちろんホンダのスーパーカブである。ここは住宅街。注文するのは周辺で暮らす一般家庭の人たちだろう。

さらに、耳をすませば店内から鍋振りの音がかすかに聞こえるではないか。パーフェクトだ。中に入って店主の顔が見たい。丸見えであろう厨房を眺めたい。椅子の座り心地を確かめたい。テーブルはデコラばりの赤だろうか。いや、白か。メニューのバリエーションはどこまで広がっているだろう。壁にベタベタ貼ってあるかなあ。量は大盛りなのか普通なのか。かつ丼ばかりでなくオムライスやカレーライスなど、中華でも何でもないメニューがあるのか。

すべては入店すればわかること。意を決して入口を開けた。
「いらっしゃい!」
おやじの塩辛い声に迎えられ、カウンターに腰掛けて半チャンラーメンを注文。うーん、予想通り落ち着く空間だ。奥の上のほうにはお約束のテレビがあって、夕方のニュースが流れている。

おやじのパフォーマンスを観察できるポジションは確保したし、店の雰囲気もなんとなくわかった。中華以外も扱うメニュー構成や、酒のつまみの充実ぶりから、常連客に支えられた地域密着型の店であることも察しがつく。

最後の難関は味である。可もなく不可もない、普通の旨さであって欲しい。いや、美味しければ嬉しいんですよ。それは当然だ。でも、美味しすぎたらもっといろんなものを食べてみたくなるし、誰かを誘って来たくもなる。二度じゃ足りないだろう。何度もきてしまう。するとどうなるか。他の店を開拓する機会が減ってしまうのだ。だから美味しすぎるのは困る。

もっと悩ましいのはマズい場合だ。個人的な嗜好を越えたレベルだったら大変なことになる。マズいのに何十年も店がつぶれなかった理由を探らなければならないからだ。通うことになるだろう。店主の人柄が良いのか、場所が良いのか、客層が特殊なのか、コストパフォーマンスが最高なのか。

豊富なメニューも一般的。黄色もよく使われる。



町中華では、食べたらサッと席を立つのが暗黙のマナーだということはわかっている。でも、頭の中が妄想でいっぱいになった僕は、もはやそれでは満足できなくなってしまった。僕は、いまこうして食べている町中華の空間や味が、どんな紆余曲折を経てできあがってきたのかを知りたい。いかなる事情で誕生し発展してきたのか、定番メニューはなぜ定番になったのかを知りたい。そして、僕が生まれ育った昭和の高度成長期とは、いったいどのような時代だったのかを実感したい。

だから、僕は少しだけ勇気を出し、今日も無言で鍋を振る店主に質問するのだ。
「ところで、この店はいつからやってるんですか?」

北尾トロ(きたお・とろ)
ノンフィクション作家。1958年福岡県生まれ。2010年にノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊、15年まで編集長を務める。2014年より町中華探検隊を結成。また移住した長野県松本市で狩猟免許を取得。猟師としても活動中。著書に『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫)、『山の近くで愉快にくらす』(信濃毎日新聞社)、『欠歯生活』(文藝春秋)など多数。共著に『町中華とはなんだ』(立東舎)などがある。



TOP